大判例

20世紀の現憲法下の裁判例を掲載しています。

名古屋高等裁判所金沢支部 昭和40年(う)153号 判決

被告人 松井忠夫

主文

本件控訴を棄却する。

理由

本件控訴の趣意は、金沢地方検察庁検事佐度磯松の控訴趣意書に記載されているとおりであり、これに対する答弁は弁護人梨木作次郎、同手取屋三千夫の共同名義の答弁書に記載されたとおりであるからこれ等を引用する。

控訴趣意第一点事実誤認の主張について

所論は要するに、本件ダンボール箱は司法警察員において、所有者は名乗り出る様に告げたが名乗り出る者が無かつたことと、客観的にその場に放置されたままの状態であつたので、これを遺留物と認定し、中村恵美等に対する軽犯罪法違反罪の証拠物件として領置したのは正当であり、それを遺留物として領置した以上、その所有者やその他の権利者の承諾を要する性質のものではなく、中山警部補の命により、南巡査が手をかけた時に右箱について正当な領置の効果を生じたのであるから、その後における被告人のそれを奪取しようとした行為は、司法警察員の公務の執行を妨害したものであることが明らかであるのに、これに対し、右箱は遺留物ではないとして、その領置には所有者の任意提出が必要要件であるのに、その方法によらなかつた司法警察員の本件領置は刑訴法の強行規定に抵触する違法措置であり、これを阻止した被告人の行為は未だ公務執行妨害罪に当らない旨認定した原判決は重大な事実誤認をした違法があるというにある。

よつて案ずるに、刑訴法二二一条の領置は任意捜査に属するものであることに鑑みると、その対象となる被疑者その他の者が遺留した物とは、共同所持者がある場合には、その中の一部の者が、その所持を放棄した場合でも、その他の共同所持者が尚それを所持していると認められる場合には、未だ同条において直ちに領置出来る遺留物としての要件を備えていないというべきであり、又、仮りにその所持者が遺留したものであつても、偶々その場に、その物の所有者、又は管理者が居合わせて、その所有権又は管理権に基いて、その領置を拒否した場合には、その拒否を排斥し、その物権を遺留物として領置出来る強制権が与えられるものとも解し難い。

そこで、これを本件についてみると、証人桔川正男の原裁判所における供述(記録二八八丁)、当審における証人升谷恵美(記録四二三丁、四二八丁)、同金谷繁次(記録四三五丁)の各供述によれば、本件ダンボール箱はその中に入れてあつたビラをも含め東京屋被服株式会社労働組合(以下被服労組と略称する)の所有に属するものであり、当時は、本件領置の直前に行われたデモに参加した被服労組員が共同して所持していたものであることが認められ、これに対する司法警察員側指揮者の認識は、原審並びに当審における証人中山正雄(記録六二丁、六三丁)、同中口武男(記録一七四丁、四九〇丁)の各供述によれば、右ダンボール箱は右デモ行進の際から、被服労組員等が所持していたものであり、それは被服労組の活動としてなされるビラ貼りのために用意されていたものと容易に認識出来た状況にあつたと認められることに徴すると、経験則上、警察員等は、本件段ボール箱等は被服労組の所有又は管理に属するもので、当時は被服労組員が共同して所持していたとの認識があつたものと推認され、現に中口武男はこれ等の物はデモ隊の物だと思つた旨供述しているところである。

そうであるとすれば、司法警察員の指揮者中山警部補が、中村恵美等数名の者に対する軽犯罪法違反被疑事件の証拠品として右ダンボール箱等を領置しようとした際、同人等は同罪で検挙されることを恐れて、東京屋商店の屋内又は被服労組の他の労組員の群の中に逃げ込み、中山警部補等よりこれをみれば、容易に右被疑者等の所在を識別し難い状況であつたので、同被疑者等が右物件を遺留したと認定したとしても、右物件は右中村恵美等数名の者のみが所持していたものではなく、その他の被服労組員も共同所持していたものであり、同人等がその場にいた事は明らかであるから、それ等の労組員等もその所持を放棄したものとみなされない限り、これを同法同条の遺留物として領置する要件は備つていないというべきである。

そこで、右中村等数名以外の被服労組員が、右ダンボール箱の所持を放棄したとみ得るか否かについて検討すると、原裁判所における証人桔川正雄、同池田甚市の各供述竝びに当審における証人升谷恵美、同金谷繁次の各供述、原審並びに当審における証人中山正雄、同中口武男の各供述によれば、

(1)  被服労組員等並びに後述の如く一応本件ダンボール箱について交渉権限があつたと認められる支援労働組合員等は、本件段ボール箱等が置かれてある場所を取り囲んで、その二、三米の地点まで至り、右箱を見守りつつ、口々に「私達の物を何で持つて行くのや」等とこれが領置を反対していた事実(記録二〇六丁、四二〇丁)

(2)  被服労組執行委員金谷繁次が、右箱の傍に出て行き、それを引揚げるために手をかけたところ、警察員からそれを持ち去るなと制止され、「何故か」と理由を問い返すと警察官が「領置するのや」というので「これはわし等の物や」といつて引下つた事実(記録四三五丁、四三六丁、四四一丁、四四二丁)

(3)  デモ隊中の一組合員が出て来てダンボール箱に手をかけようとしたのに対し、中山警部補が「これは証拠品だ、無理に奪いかえすと公務執行妨害になるんだ」と警告したので、同組合員は引下つた事実(記録六九丁、七〇丁)

(4)  支援労組員の一人であつた被告人が司法警察員の副指揮者中口警部補に対し本件物件につき「これは何の証拠だ、これには組合の大事なものが入つている、もつて行くな」と申し出たが、同警察官より、「丁度よいお前証拠写真に入れ」といわれて引下つた事実(記録一六四丁、一六五丁)

(5)  被服労組委員長桔川正男が出動警察職員の総指揮者としての中山警部補を探し出して、同警部補に対し、他の者等と共に労働争議に警察官の介入を避けて貰いたいと申込み、更に「何で人の所有物を無断で持つて行くのか」と抗議した事実(記録六九丁、七〇丁、八二丁、八三丁、二七一丁、二七二丁、二七四丁)

(6)  支援労組員である石川県労働組合評議会(以下県評と略称する)の幹部等が警察職員の副指揮者中口警部補の傍に赴き、同警部補に対し「警察はこんなものを持つて行かんとおいてくれ」と申入れた事実(記録一八四丁、四八七丁、四九一丁、四九二丁)

(7)  愈々本件物件を車に積みこむために車を本件物件に近づけるや、数人の労組員が車の積込口にあたる同車の後部に寄つて行き、口々に「それなものを持つて行つてはいかん」等と騒いで、その領置を口頭で拒んだ事実(記録一六六丁、一八四丁、一八五丁、二七八丁)

(8)  警察側が労組員等の口頭による拒否に応ぜず、右箱を車に積み込もうとした南巡査がこれを持上げた時に、被告人が飛び出して来て「その中には大事なものが入つている、これを持つて行けば泥棒だ」と叫びながら、右箱に手をかけて、それを取り戻そうとした事実(記録七二丁、一六六丁、一六八丁、一九三丁)

が夫々認められる。

これ等の事実を総合すると、当時被服労組員や支援労組員は、本件ダンボール箱を直接握持して持ち去ろうとしても、司法警察員から、それを持ち去れば公務執行妨害罪で検挙する旨警告され、これを持ち去ることが出来ず、やむなく、本件ダンボール箱等を取り囲み、これを領置しようとする警察員に対し、集団で口口にその領置を拒否し、その一部の者は直接警察員の指揮者等に対し、右物件が組合の所有物であると告知し、その領置を拒否していたことが明らかに認められる。

これに対し、司法警察員側は、「誰の所有か」と大声で尋ねたというが、取調べた証拠の範囲内では被服労組員や支援労組員中にはこれを聞いたという者は存在せず、仮りにかかる呼びかけがあつたとしても組合員等には聞えていなかつたともみられ、中山警部補等は当時本件物件が被服労組の所有又は管理するもので、同労組員等が共同所持していたものであるとの認識があつたと認められることは前叙のとおりであり、同警部補並びに中口警部補等は被服労組委員長は桔川正男であつたことは予ねてより了知しており、且つ同人について面識もあつたと認められ(記録一〇六丁、一〇七丁、四九三丁)、同委員長は、その現場にいて中山警部補に対し本件領置を拒否する申出をしていたことは前記認定の通りであるから、司法警察員の指揮者等において、真実過失のない適法な領置を期していたのであれば、当然同委員長と交渉すべきであるのにそれをせず、又、その他被服労組の幹部を探し出そうとした形跡も見受けられず、単に持主は出て来いと言つたというのみでは、その当時の状況からみて本件物件を遺留物と判定するについての相当な手段を尽したとは認め難く、ましてやその領置に対しては、労組員等が喧騒に亘る程拒否していたのであるから、右はその物件の共同所持者であり、且つ所有権又は管理権を有する者等の明示の領置拒否があつたとみるべきであり、被服労組員等が本件物件の所持を放棄し、その処置を司法警察員に委ねたものとは到底認められない。

そうであるとすれば、本件物件を刑訴法二二一条により領置するには、その所有者又は保管者若しくは所持者から任意提出を受ける外に方法が無いのに、かかる任意提出を受けた形跡は認められないので、これを同条の遺留品として領置した司法警察員の本件行為は領置権限の無い物件を領置した違法のものであるという外はない、しかも右領置は後述の如く効力規定に反し、且つ刑法上の保護を得難いものであると解せられるので、南巡査が本件物件を運搬すべく両手で持上げた後であつても、これを単に阻止するための最少限度の範囲を出ない被告人の行為は、未だ公務執行妨害罪の構成要件を充足するものとは解し難い。

従つて、原判決には結局所論の如き事実誤認の違法は存在しないというべきであるから、論旨は採用し難い。控訴趣意第二の一法令の適用の誤りの主張について

所論は要するに、支援労組員は争議応援行為につき憲法上の団体行動権は無く、勿論労働組合法一条二項但書の刑事免責の対象ともならないものであり、ましてや争議行為と何等関係の無い司法警察員が行う証拠品の領置手続に関しては何等権限がないのに、これを支援労組員の一人であつた被告人が本件領置物を奪取しようとした行為は争議支援のための権限内の正当な行為であると判断した原判決は法令の解釈適用を誤つたものであるというにある。

よつて案ずるに当審における証人升谷恵美(記録四二六丁、四二七丁)、同金谷繁次(記録四三六丁、四三七丁、四四二丁)、原裁判所における証人小坂利一(記録三〇七丁)の各供述によれば、本件デモは県評の主催により被服労組の行う争議を支持応援するために実施されたもので、支援労組員は県評の出動命令を受けた傘下の各労働組合より派遣されて本件デモに参加し、その構成員となつたものであり、本件ビラ貼りは右デモの附帯的行為として被服労組員によつてなされたもので、支援労組員は右ビラ貼りから派生した事柄についても、包括的にその援助を依頼されていたことが認められるので、被服労組員が所持していた物件が第三者からその所持を侵害されようとした場合にも、支援労組員は、被服労組員と共同し、又はそれに代つて、その第三者に対し交渉又は意思の伝達をすることが出来る或種の事務を処理する権限があつたとみるのが相当であるから、右支援労組員の一人であつた被告人のなした本件の意思伝達行為並びにその後に行われた領置阻止行為は、それについて何等権限の無い者の行為とはなし得ないところであり、ましてや、司法警察員の領置は客観的には違法であり、且つ後述の如ぐそれが刑法上の保護に価するものと解し難い本件においては、その侵害を単に阻止する範囲を出ない被告人の行為は、元来それについて特別な権限の無い者でもなし得る性質の行為をなしたものに過ぎず、右は憲法上の労働者の団体行動権又は労働組合法一条二項但書の違法性阻却行為以前の問題であつて、これ等とは次元を異にするものであると解するから、この点については、その余の判断をするまでもなく原判決には所論の如き法令の解釈適用の誤りは存しないというべきである。論旨は採用出来ない。

控訴趣意第二の二の法令の適用の誤りの主張について

所論は要するに、司法警察員のなした本件領置は、仮りに任意提出の方法によるべきであつたのにこれを遺留物として領置した客観的な違法があつたとしても、主観的に職務行為としての一応の成立が存する限り、なお公務の執行として刑法上の保護の対象となり得るものであるから、これを妨害した被告人の行為は公務執行妨害罪に該当するというべきであるのに、これについて、本件の領置行為は公務の執行として刑法上の保護に値しないと判断し、被告人に対し無罪を言渡した原判決は法令の適用を誤つたものであるというにある。

よつて案ずるに、公務執行妨害罪における職務の執行とは適法な職務の執行を指すもので、その適法とは本罪の保護の対象となり得る実体を備えたものという意味に理解さるべきであり、従つて法規違反があつてもその程度が軽微である場合は、尚刑法的保護を得られる場合が少くないが、所論の如く単に公務員において適法な職務行為と信じて行つた行為であることを以て、その総てを刑法上の保護に価するとの説には、公務員の違法行為を保護して、国民の人権を侵害することを等閑視し、その違法を排除しようとする国民の権利防衛行為に刑罰をもつて臨む場合が生ずることに思いを致すと、近代法治国家の理念からみても全面的には賛成し難く、その行為時の状況に即して判断して、公務員としての注意義務を充分尽した妥当な裁量が行われたとみられる場合にのみ、客観的違法があつたとしても、その職務の執行は刑法上の保護を得られるものであると解する。これを本件についてみると、本件物件については刑訴法二二一条の領置の要件として認められる遺留や任意提出があつたと認められないことは前叙の通りであるから、これを敢えて領置した司法警察員の行為は令状による等の強制処分によらずして、強制処分による押収と等しい結果を生ぜしめたものであつて、違法の行為であるというの外はなく、しかも右は単なる訓示規定違反ではなく効力規定に対する違反であり、これに至つた経過をみても、司法警察員は本件物件が被服労組の所有又は管理物であり、且つ当時被服労組員がそれを共同して所持していたことを認識していたと認められることは前叙のとおりであり、その共同所持者等の可成り激しい領置拒否の意思表示があつたのに、これを圧迫排斥して敢えて本件領置をしたのは、公務員としての注意義務を尽した妥当な判断の下になされたものとは認め難いので、その領置行為は刑法上の保護に価しないものというべきであり、原判決の法令の適用には所論の如き誤りは存しないと解する。論旨は採用し難い。

よつて本件控訴は結局その理由が無いので、刑訴法三九六条に則りこれを棄却することとし、主文のとおり判決する。

(裁判官 小山市次 斎藤寿 河合長志)

自由と民主主義を守るため、ウクライナ軍に支援を!
©大判例